「天河神社は呼ばれた人しかたどり着けない」と、よく聞くけど
今回、天河さんに行かせていただいて
私が思っていた意味あいは少し違うんじゃないかと思いました
よく聞くのが、急病で行けなくなったり、前まで行っても入口がわからなくて入れなかったり
選ばれた人しか行けない...みたいな、なんか特別なことのように感じてました
いや、そううじゃない
神様はそんなちっぽけな器じゃない
神様は何に対しても寛大だし、平等なんだと気づかさせていただいての
天河さん行きでした
今回感じたのは、天河大弁財天社の存在を知った時点で
すでにもうみんな、天河さんに呼ばれてるんじゃないかということ
そして、行くか行かないかは本人が決めること
タイミングも人それぞれ
そこにたどり着いたことで「呼ばれた」になるんだと
阿部敏郎さんのブログ にも
「天河は呼ばれた人しか行けないと言われていますが、
呼ばれるというのは、その情報に出会い、
自らも行きたいという意志を持つということです。
その情報に触れる縁と、
彼方から湧いてくる意志の両方が「呼ばれる」ということです。」
と、書かれていました
やっぱり、そういうことなんだ